1979年5月20日から25日第7回国際形成外科学会がブラジルのリオデジャネーロで開催されました。日本からも当時の形成外科学会の重鎮の先生方が参加されて,私もビーズ式の重瞼術を日本を除いて世界で初めて報告しました。ピタンギーは美容外科で有名ですが形成外科でもとても有名な先生で、この学会の期間に彼の自宅にバス8台に彼の親しい知人の世界中の形成、美容外科の先生を300名ほど迎えてWelcome partyをしてくれました。

PitanguyとMaiamiのBaker 私も含め若かったです
彼の自宅にバーカウンターがありその前面がガラス張りで、庭のプールの中が見られ、ちょうど水族館のシロクマが泳いでいるのが見られるのと同じように、お客の男女が泳いでる姿を見ながらお酒を飲む感じで、これにはびっくりしました。
自宅の庭に300人を招いてPartyをするだけでもびっくりしてたのに、このバーにはブラジルの富豪のすごさに感服しました(残念ながらこの写真はありません)
学会の後 彼のクリニックを訪れました。ピタンギーはただの富豪だけではありません。
彼が亡くなるまでの40年間 月曜日は大学病院にて無料で貧しい唇裂(三クチ)や、やけど患者の手術を行っていました。
私と兄と二人でピタンギークリニックを訪問したのは火曜日でした。
彼は金曜日仕事が終わるとプライベート飛行機で彼のプライベートな島で静養に行き月曜日の朝リオに帰り、病院でボランティア手術を行っていたので、火曜日にピタンギークリニックで会うことが出来ました。
ピタンギークリニック
受付と待合室
ここでは世界中の形成外科医が研修に来ており、特に有名なのがこれらの研修医の勉強のための図書館です。
又手術室はナースステーションを囲み円形の廊下に4つの手術室があり。彼が術前のデザインをすると2人の先生がそれを確認し、彼は次の手術室に入ります。
その合間をぬって、今の様に無線の電話がない時代でしたので長いコードの付いた電話を看護師が持って追いかける状態は、まるで戦場の様でした。
4つの手術室には2人の医師が控えており、手術が終わるころにはPitanguyがCheckにはいります。
まるでコンピュータで制御された工場の様でした。


これが有名なピタンギークリニックの研修生の勉強室
(大阪白壁美容外科ではこれをまねて研修生の勉強室を作りました)
このような手術室が円形廊下に沿って4室ありました
彼はリオの名誉市民であり2016年リオオリンピックの聖火リレーに車いすで参加し、翌日8月6日に永眠しました。
世界から美容外科、形成外科の父とも慕われた人生でした。

記事監修医師プロフィール

サフォクリニック副院長/美容外科美容皮膚科医
白壁 聖亜
経歴
- 2007帝京大学医学部 卒業
- 2010湘南鎌倉総合病院形成美容外科勤務
- 2019シロノクリニック非常勤勤務
- 2020サフォクリニック理事就任
- 2022サフォクリニック副院長就任
所属学会・資格
- 日本形成外科学会専門医
- 日本形成外科学会会員
- 日本美容外科学会(JSAPS)会員
- 国際美容外科学会(ISAPS)会員
- 日本レーザー医学会会員
