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明治30年代のミスワールドで世界3位は日本人学習院在学中の女学生でした

日本の美容外科の歴史は以外と古く、1896年浜松の眼科医、美甘光太郎が二重の手術の術前、術後写真をつけて医学書に報告しているのが最初で、多分 二重の手術報告としては世界で初めてと思われます。

美甘光太郎と左目を二重にした患者さんこの後右の手術を行いました。

当時の二重は現在の様な幅の広いものではなく、目立たない奥二重でした。
しかし、当時の浮世絵や日本画に出てくる美人が一重で、いわゆる「つり目」であったのに、この明治の初期に二重を作った美甘と云う医者も大胆でしたが、これを受けた患者さんも大変な決断がいったことと思われます。

ところで明治の初期にミスワールドがあったことをご存知ですか?
米国の新聞社ニューヨーク・トレブューン社が世界中に写真募集を行いミスワールドを決定したそうですが、なんと第3位に日本の女性がはいりました。
当時女子学習院中等部在学中の16歳末広ヒロ子さんで後に乃木大将の紹介で野津元帥のご子息さんのお嫁さんになった方です。
ご覧のようにはっきりとした二重の美人でした。

後日談ですが彼女はこのために学習院を退学させられたそうです。
尚当時の校長は乃木大将自身だったそうです。
やはり当時から美人の基準は二重だったので、いかに美甘が二重の手術を行ったことに先見のめいがあったか、現在の二重手術の隆盛を見ればわかります。

叉大正時代の有名なポスターである赤玉ポートワインのモデルもはっきりした二重でした。

1922年(大正11年)撮影の赤玉ポートワインのポスター。
上半身裸のモデルを務めているのが日本最初のヌードポスターと言われました
女優 松島栄美子の二重に注目
明治以降 二重へのあこがれは益々増加し、43年間に11もの新しい術式が学会で報告されました。

戦後になるとさらに日本では5年間に11の術式が学会で報告されました。

ミスワールドから話がはずれましたが
ポーラ文化研究所が発刊している 幕末美人帖(新人物文庫) には当時の美人写真コンクールのことが詳しく出ています。
このコンクールの入賞商品は1等から3等までに50円から10円が贈呈され

一次審査入賞時
1等 18金ルビー真珠入り指輪(値30円)
2等18金真珠入りブローチ(値15円)
3等18金結形根掛け(値10円)
4,5等 銀製鍍金草花図丸彫束髪用ビン(各5円)

二次審査入賞時
1等 18金ダイヤモンド入り指輪(値300円)
2等18金梨地無双ダイアモンド入り婦人持ち懐中時計+18金ルビー真珠入りネックレス(値150円)
3等 白金製ダイアモンド入り帯び留め(値100円)

明治30年から40年の貨幣価値としてはどのくらいか分かりませんが多分大金だったと思われます。
これ全て写真審査だけです。

次回はこの当時の2大写真コンクールについてお話しします。

記事監修医師プロフィール

サフォクリニック副院長/美容外科美容皮膚科医

白壁 聖亜

経歴

  • 2007帝京大学医学部 卒業
  • 2010湘南鎌倉総合病院形成美容外科勤務
  • 2019シロノクリニック非常勤勤務
  • 2020サフォクリニック理事就任
  • 2022サフォクリニック副院長就任

所属学会・資格

  • 日本形成外科学会専門医
  • 日本形成外科学会会員
  • 日本美容外科学会(JSAPS)会員
  • 国際美容外科学会(ISAPS)会員
  • 日本レーザー医学会会員

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